競輪コラム

川崎競輪の歴史と特徴を徹底深堀! バンクの特徴と特別競輪の見所も解説!

京浜工業地帯の中心として工場が建ち並ぶ川崎市。
戦時中には軍需工業が盛んであったため、米軍の集中砲火を浴びて、川崎区の大半は焦土と化しました。後に「川崎大空襲」と呼ばれる悲劇です。

それでも川崎市は負けませんでした。見事な戦後復興を成し遂げ、今の工場地帯へと発展していきます。
その復興の一環として、1949年(昭和24年)に設立されたのが川崎競輪場でした。
全国で5番目となる競輪場は川崎駅からちょっと離れた富士見公園の一角に作られました。

人が集まりすぎた?川崎競輪の歴史

都心から近いということもあってすぐに人気の競輪場となり、全国でも有数の聖地として知られていったのです。当然、ビッグレースは数々開催され、1949年(昭和24年)、1952年(昭和27年)、1954年(昭和29年)には『日本選手権』、1956年(昭和31年)、1960年(昭和35年)、1962年(昭和37年)、1965年(昭和40年)には『オールスター競輪』がおこなわれました。

しかし、そのような特別競輪だけではなく、記念競輪でも観客が客席から走路へあふれ出るくらいの混雑状況になっていたこと。それに伴って施設を増設したくても敷地が富士見公園内にあったため、都市公園法によって改修を制限されてしまいました。結果、施設を拡大できないことを理由に、人が集まりすぎるため、大きなレースの開催ができなくなったのです。

川崎競輪での特別競輪

月日は流れ、2005年(平成17年)の8月、『サマーナイトフェスティバル(G2)』がようやく開催されました。特別競走の開催は実に40年ぶりのことでした。その後、2009年(平成21年)の7月、2016年(平成28年)の7月と『サマーナイトフェスティバル』が開催され、満を持して遂に今年2021年(令和3年)、『読売新聞杯全日本選抜競輪(G1)』が開催されることになったのです。

56年ぶりのG1復活です。

もちろん、その間も記念競輪(G3)は開催されていました。
毎年4月に開催される『桜花賞』です。2003年(平成15年)からは、倉持貞助(競輪の生みの親と称される偉人)と共に1947年(昭和22年)に『国際スポーツ株式会社』を設立して競輪の創設に尽力し、後に『南関東自転車競技会』副会長を務めた海老沢清(本名は海老沢清文)の功績を讃えて、正式名称『桜花賞典・海老沢清杯』として開催されています。

川崎競輪場には特別競輪が開催されなかったこともあって、『桜花賞』はビッグレースに近い開催として扱われています。
今年2021年(令和3年)も4月8日(木)から11日(日)で開催予定で、各場のヒーロー選手が集結するでしょう。


ちなみに川崎競輪のヒーローといえば、高原永伍さんです。現役時代は「生涯先行一本」を掲げて数々の特別競輪を制した川崎市川崎区出身の英雄。1960年代当時はあまりの強さに高原さんへオッズが集中するため、他の車券は全部万車券になるといった“高原オッズ”なんていう現象も起こしていました。競輪界のスーパーヒーローですね。

郡司浩平

現在、川崎競輪場を代表するといえば郡司浩平選手(SS・神奈川・99期)でしょう。昨年2020年(令和2年)の『競輪祭』を制した“競輪王”。2月20日(土)から23日(火・祝)までの4日間開催される『全日本選抜』で優勝すればG1連覇ということ以上に、56年ぶりの地元G1を地元選手が制覇ということになり、川崎の競輪ファンにとっては一生忘れられない思い出となるでしょう。是非がんばっていただきたいです。

川崎競輪場のバンクはかつて、コーナーに差し掛かるカーブが急であったことから「せんべいバンク」「四角いバンク」などと呼ばれていましたが、バンクの全面改修後は標準的な400バンクだといわれています。しかし直線が長めなのに加えて、イエローライン付近の外側になぜかよく伸びるコースがあることで、追い込みが届きやすく、最後の最後で逆転されるケースがよく見られます

さらに2014年(平成26年)、西スタンドが建ったことで風の通り道ができ、バックで追い風、ホームで向かい風が吹きやすくなりました。それによって先行選手受ける風が強くなり、ますます差しが決まりやすくなっています。番手、3番手の両方や別線の複数選手に差されるズブズブも喰らいやすいので注意しましょう。逆にそこが穴としては狙い目になります。

最後にもうひとつ。川崎競輪場のマスコットキャラクターは『九ちゃん』と言います。川崎市出身の歌手、坂本九さんの「九」と競輪9車立ての「九」などを取って『九ちゃん』。開催中は毎日、毎レース登場するという『九ちゃん』と一緒に車券を的中させて、“スキヤキ”で祝杯を上げたいですね♪

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