競輪コラム

KEIRINグランプリとは?選考基準や歴史を徹底解説!

優勝賞金1億円。

ひとつのレースで受け取れる優勝賞金世界最高額としてギネスに認定されているビッグマネーをつかめるのは、1年間でたった1人の「HERO」だけ。

競輪の全登録選手数2,404名(5月1日現在)からガールズケイリン選手168名を除いた男子選手2,236名のトップ9名が争って勝者を決める一発勝負。すなわちTOP of TOPを決める戦いであり、競輪における最上位のレースであり、競輪日本一決定戦……

それが『KEIRINグランプリ』である。

毎年12月28日から3日間の日程で開催される年末最後の競輪開催「グランプリシリーズ」の大トリ、つまり最終日12月30日の最終レースの一発勝負として『KEIRINグランプリ』は行われる。始まりは今から36年前の1985年(昭和60年)だった。

競輪人気に陰りが見えていたこともあって新たな特別競輪を創設するなどの対応をしたが、売上は伸びず。当時の監督省であった通産省の担当課長が「中央競馬の有馬記念に匹敵するグランプリレースを行えないものか?」と発案したのがきっかけだった。

「1レースのみで王者が決するもの」「集客が多く見込める首都圏の競輪場を舞台に」などの条件のもと、立川競輪場で第1回大会が開催された。初めての試みに盛り上がりが懸念されたが、蓋を開けてみれば4万人ものファンが本場に押し寄せて、10億円以上を売り上げる結果となった。大成功である。

当然、翌年以降も毎年末開催された。第1回大会優勝者は中野浩一氏で賞金は1千万円。第2回大会の優勝者は井上茂徳氏で賞金は1千500万円。1989年(平成元年)の第5回大会は選手会のストライキで中止となってしまったが、それ以外は毎年開催されている。賞金は3千万円となり、7千万円となり、2004年(平成16年)の第20回大会より1億円になったのである。

2007年(平成19年)までは公営競技の年末ビッグレース最後の開催だったため、「今年のギャンブル総決算レース」という位置付けだった。その座こそ他競技に明け渡したが、競輪選手や競輪ファンにとっては年内最終最後の大勝負であり、輪界の頂点を決める大一番。

それが『KEIRINグランプリ』である。

前述した通り、第5回大会が中止になってしまったため、今年の『KEIRINグランプリ2021』は第37回大会にして36回目の開催。12月30日(木)に行われる。

2002年(平成14年)までの開催場は立川競輪場が基本で、『日本選手権(ダービー)』が立川で開催される年のみ、平塚競輪場で行われていた。2003年(平成15年)に京王閣競輪場で初めて開催されて以降は京王閣、立川、平塚の3場ローテーションになっているが、変則的に2014年(平成26年)には岸和田競輪場、2018年(平成30年)には静岡競輪場で開催されている。今年も京王閣で『ダービー』が開催されたため、再び静岡競輪場で行われる。3年ぶり2回目。

その舞台に立てる、選ばれし9選手とは、まず……

①G1競走優勝者

2月の『全日本選抜』、5月の『日本選手権』、6月の『高松宮記念杯』、8月の『オールスター』、10月の寛仁親王牌』、11月の『競輪祭』の優勝者。条件として当年1月から10月までの10カ月間で出走回数40回を越えていないとならないが、大きなケガでもしない限りはクリアできる数字だ。次に……

②選手委員会が特に認めた選手

夏季オリンピックや世界選手権の自転車競技大会で活躍した選手がこれに該当する。残りは……

③賞金獲得額上位者から順次選抜

選考期間は当年1月から『競輪祭』最終日まで。その時点で獲得賞金額が同額だった場合は10月までの平均競走得点上位者が優先される。この残り枠をかけて、年後半のビッグレースでは熾烈な争いがくり広げられるのである。

何せ、出場して優勝すれば1億円。正確には今年の大会優勝賞金1億330万円(本賞金のみ)。一撃で賞金王になれる。

加えて翌年のグランプリ直前まで、出場するレースすべてで1番枠に固定されるといった特典もある。出場するだけでもS級S班在籍となり、翌年すべてのG1レースで優先出走資格が与えられるのだ。是が非でも出場枠を獲得したいと全選手が願っているだろう。

ちなみに優勝者は「グランプリチャンピオンユニフォーム」、その他出場者は「グランプリユニフォーム」を翌年の『競輪祭』まで着用でき、下は「赤パン」と呼ばれる赤地に黒いラインで星が7つ並べられた特別なレーサーパンツを履ける。言うなれば競輪界の“神9”としての称号が与えられるのである。

そんな神々の戦いを5年前から遡ってみよう。

2016年(平成28年)、舞台は立川競輪場。並びは⑦稲垣裕之-③村上義弘-⑤岩津裕介、⑧浅井康太、①平原康多-⑥武田豊樹、②中川誠一郎、⑨新田祐大-④渡邉一成。青板バックで新田が誘導を降ろすとすぐに平原が前に出て、そこに稲垣が動いていき、赤板前から押さえ先行になった。打鐘からペースアップしていく中、最終2角から平原が一気にスパートしたのを村上が合わせて番手捲り。両者もがき合いの末、抜け出した村上が猛然と追い上げてくる武田を振り切って、僅差でのゴールとなった。前年覇者の浅井が3着に食い込んで三連単③-⑥-⑧、4万1,560円の大穴決着で終劇。

2017年(平成29年)、舞台は平塚競輪場。周回は⑥桑原大志-②三谷竜生、④深谷知広-⑨浅井康太、③平原康多-⑧武田豊樹-⑤諸橋愛、①新田祐大-⑦渡邉一成の順。この年も最初に動いたのは新田だった。青板バックから上がって深谷に蓋をすると、深谷はすぐに下げる。赤板ホームから平原が前に出たところへ、深谷がさらに踏んで出切り、逃げの体勢へ。そうはさせじと最終ホームから出て行く三谷だったが平原に合わされて撃沈。そのまま上がっていく平原に今度は浅井が合わせて番手発進。4角手前でインを突こうとした諸橋が深谷と桑原を巻き込んで落車してしまうのを横目に浅井がそのままゴールでフィニッシュした。平原から早めに切り替えていた武田が2着、捲った新田は届かず3着までで三連単⑨-⑧-①、2万8,230円の高額配当となった。

2018年(平成30年)、舞台は静岡競輪場。④新田祐大がSを取らされる形で単騎の前受け、⑦平原康多-⑧武田豊樹、②浅井康太、⑥清水裕友、③脇本雄太-①三谷竜生-⑨村上義弘-⑤村上博幸の並びとなった。最初に動いたのは単騎清水。青板4角から上がり、誘導を降ろして先頭に立つも、打鐘で脇本の近畿ライン4車に叩かれてしまう。そのまま一列棒状で最終バック。清水の捲りを三谷がけん制し、空いたインを平原が突こうとしたところで村上義の後輪にかかって2人とも落車転倒。最後の直線で脇本の番手から抜け出した三谷がゴール線を切って優勝となった。2着は8番手から捲ってきた浅井、さらに大外から新田も迫ってきたが3着までだった。三連単①-②-④、2万1,440円で2年連続の2万車決着に。

2019年(令和元年)、舞台は立川競輪場。号砲と共に佐藤慎太郎が飛び出して誘導の後ろへ。新田祐大を迎え入れて、④佐藤-⑦新田、⑤清水裕友-②松浦悠士、⑧平原康多、①中川誠一郎、③脇本雄太-⑨村上博幸、最後方に初出場⑥郡司浩平の順で周回。赤板ホーム過ぎても動きはなく、打鐘前で満を持して踏み出したのは脇本だった。清水が合わせるもその上を越えた脇本と新田の踏み合いになって、最終ホームへ。離れ気味だった村上を捌いて脇本の番手を奪った新田が絶好の展開に。バックで一気に踏み上がってきた清水をけん制して出て行こうとする郡司は届かず。そこで新田が番手発進しようとするが、脇本も譲らず。その内を割って出た佐藤が脇本を差しきってゴールインという決着になった。外から伸びてきた平原が3着に滑り込み、三連単④-③-⑧で14万3,920円という特大の配当。

2020年(令和2年)、舞台は平塚競輪場。スタートを制した③松浦悠士-⑤清水裕友が前受け、①郡司浩平-④和田健太郎、⑧新田祐大-⑨佐藤慎太郎-⑥守澤太志、最後に初連携の②脇本雄太-⑦平原康多という隊列になった。赤板ホーム過ぎから後方のけん制を始める郡司。バックでその上を一気に駆け上がる脇本が2センターで前へ出たところで、松浦が平原を捌いて番手に付こうとするも不発。最終バックで飛び出そうとする郡司。合わせる松浦。2人が共に下がってしまったところで清水が発進。けん制する平原。各者入り乱れている間隙を突いたのは、和田であった。最後にタレた脇本の横を伸びてゴール。初出場で初優勝をもぎ取ったのである。2着は脇本、3着は和田の後ろから追い込んできた佐藤で三連単④-②-⑨。22万1,650円と前年を上回る高額配当はグランプリ史上最高額となった。

レースの流れだけ追ったが、その背景には1年間通して選手たちがくり広げた様々な戦いの物語が凝縮されている。

競輪で最も競走距離が長い、400バンク7周、2825mのストーリーの果てに「HERO」となるのは誰であろうか……。出場する選手を考え、展開を予想して、物語を想像していると、あっという間に決戦の時となっている。

それが『KEIRINグランプリ』である。

ウィンチケット編集部
WINTICKET(ウィンチケット)のコンテンツ編集チーム。初心者でも0からわかる記事を150本以上執筆した他、グレードレースを中心とした「WINTICKETニュース」、ABEMA 競輪・オートレースチャンネルでの番組の見どころをまとめたレポート記事の執筆を担当。

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